僕の友人の幾人かはmixiをやっているんだけど、彼ら彼女らの多くの方々は文章を書かない。
僕は人の文章を見ることが好きなので是非とも書いて欲しいと思っているんだ。
人の文章を見るのは面白いですからね。
とは言ってもこの「面白い」というのは内容が面白い如何ではありません。
「お前が言うな」って言われるであろうことは間違いないだろうけれど、正直なことを言わせてもらえば内容が面白くない文章というものはこのネット上にかなりの数がある。
何がどう面白くないか、とかそういうことをあまり書くと「ヤスのくせに何様のつもりだ」と言われるだろうからこれ以上は書かないけどね。そもそも僕は誰かの何かを文章で批判する気なんてさらさらないんでね。
話の本筋とはまったく関係ないけれど、ちなみに僕は「何様のつもりだ」と聞かれた時、昔は「お子様だよ」と答えていました。
小学生とか中学生の頃だったかと思うのですが、僕にも若かった時期というのはあったのですね。遠い遠い遥か昔に――。
で、僕が人の文章の何を面白いと考えているか、って言うとそれは文章ににじみ出ている「個性」。
文章ってかなり個々人の性質――つまり「個性」――が含まれているものだ、と僕は思っている。
「思っている」というか実際そうだと頑ななまでに信じているんだ。
こうやって今僕が書いているこの文章にだって僕の個性はかなりにじみ出ていると思うし、他の方々の文章にも彼ら彼女らそれぞれの個性がちゃんと表れている。
その個性の差を見ると、「人間って色々いるんだなぁ」とか思うし、その延長上で「そうか、こういう考え方があるのか」なんて思うこともある。
そもそも何で文章に個性が表れているかと言うと、文章というものには書き手の考え方がかなり反映されるからだ。
人は考えたことを「言葉」という形で表現することができるけれど、その中でも目で見ることができる「文字」という形で表現すること――それが文章だと僕は思っている。
考え方なんて人それぞれ違うのは当たり前。
だからこそそんなものがもろに反映される文章がそれぞれ違うのは当たり前なんだ。
僕には僕の考え方がある。だから僕には僕だけの文章がある。
RさんにはRさんの考え方がある。だからRさんにはRさんだけの文章がある。
三丁目のマイケルには三丁目のマイケルの考え方がある。だから三丁目のマイケルには三丁目のマイケルだけの文章がある。
それぞれ持っているもの、考え方――「個性」は違う。
そしてそういう個性の差というものを僕は「差異」と呼んで重要視しているんだ。
僕は文章に表れる差異を見たい。感じたい。
一人として同じ個性なんてなく、つまり一つとして同じ文章なんてない。
そんな完全なる調律の上に成り立つ不完全さが面白い。
完全な不完全さを持っているんだ、人間って。
意味が分かりませんか?
つまり、「人間には一人として同じ人間なんていない」というシステムは完全に、完璧に成り立っていますよね。
でもそのシステムの中で「人と人のどこがどう違っているか」なんてまったく決まっていませんよね。
そういう観点で考えると、そのシステムはとても不完全なものだと考えられます。
僕は人間という生き物についてそう考えているので、「人間とは完全な不完全さを持っている生き物だ」と言うのです。
そしてそんな人間が創り出す文章もまたそのように考えています。
すごく抽象概念的なものを書いたけれど、こういうことを書いている僕の文章にも「個性」が表れていますよね?
もしもし僕の友人方、もっと僕に個性を――差異を――見せてくださいよ。
なんて言う僕の声はとても小さく、そしてとても頼りなげにフワフワと空中を漂い、すぐに虚空へと消え去っていってしまうんだ。
【第一章】~完~
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