この文章は数年ほど前に書いたけれど、結局日の目を見ることなく保存されていたものを引っ張り出してきた文章です。
数年ほど前と古いため結構おかしなところはあるけれど、気にしないでください。
先ほど読み返したけれど、歴史を感じるね。「人に歴史あり」とはよく言ったものです。
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今回のお話の前半は、少しビロウな話----短絡的に言って下品な話の部類に属するので、その手のことが見たくない方は中盤から見るなり、このページを閉じるなり、何かしらの手段を試みてください。
僕は水があればとりあえず生きていけると思う。
あまり、食欲というものは無いけれど、飲欲(新語)は結構ある。
僕は、よくのどが渇く人なので、普段から部屋に500mlのペットボトルを常備したりして、常に飲んでいる。最近は暖かくなってきたから部屋に常備すると一日二日でペットボトルの中の飲み物が駄目になってしまうので、常備はしてないけれど、冷蔵庫の中には僕専用のペットボトルの中に麦茶を入れてそれを飲んでいる。
それと関係があるようで全くないんだけど、僕はトイレが物凄く近い。
普通の人のトイレの近さが100m走くらいの長さだとすると、僕は25m走くらいの近さだ。
当然トイレに行く回数が人の何倍も多い。
僕は毎年冬になると気の合う仲間数人で鍋をつついて暖をとったりするんだけど、そういうとき、僕の真価は発揮される。
他の人が全行程を通じて----というのが適切な表現であるかどうかは分からないんだけど----1回か多くても2回行くところを僕だけは5回くらい行ったりする。
そうなると当然、その友人から「ヤスってトイレ近いなぁ」と言われることになる。僕は自分がトイレが近いことを自覚しているし、それを悲観的に取っているわけでもないので、何言われても別にさしたる問題ではない。正直どうでもいい。
僕の行動パターンから割り出された"トイレに行く頻度"と言うのは、大体60~90分間に一回の割合で行くという統計が出ている。これは本当に僕の普段の生活から割り出したかなり正確な数値である。
つまり、僕のトイレサイクルは大学の講義1時限分ということになる。だから僕は講義が終わるたびにトイレに行っている。理論的な話じゃなくて、具体的に本当に僕は講義が終わるたびにトイレに行っている。
僕は何でも、法則性を探すのが好きなので、トイレに関するサイクルにも法則性を見いだしているのだ。
でも、そうやって自分の体内にあるサイクルが分かっているというのはかなり楽である。
それは、トイレのサイクルでも、テンションのサイクルでも、頭の回る時間のサイクルでも何でもそうだ。例えば、テンションのサイクルが分かっていれば、自分がどんなときにテンションが高くなって、どんなときに低くなるのかが分かる。そうすれば、高くなっているときに色々とやろう、とか低くなりそうだから少し控えよう、とか意識することが出来る。
僕のトイレのサイクルもそんな感じである。
これは90分以上かかるだろうから、先にトイレに行っておこう、とか考えて行動するわけである。そういうのって凄く楽だ。
というか、普通の人間って自分のトイレのサイクルが分かってないだろうと僕は思う。こんなトイレのサイクルの話なんて他人としたことがないから確証が持てるわけじゃないけれど、そうであろうと僕は想像する。
いつ尿意を催すか分からないから、授業中とか大事なときに急にトイレに行くことになる。
僕にはそれがない。自分がどれくらい経ったらトイレに行くのか分かっているからそんなことはない。便利と言えば便利、である。
どうして僕のトイレがこうも近いのか、と言うことをたまに考えるけれど、その答えはもう既に出ている。別に文章上で書くことでもないだろうから書かないけれど、僕にはその原因が分かっている。そして、その答えの中には、僕がどうして水分を取るのか、という問いの答えも含まれているのだ。
それらはある一つの事象から派生的に二股に分かれて生まれてきた要因なのだ。だから元を正せば、二つの要因は一つの事象に結びつく。
僕が普段よく飲んでいる飲み物は大体がお茶だ。一番飲んでいるのは「生茶」。次が時季によるけれど、麦茶。それくらいしか飲まない。出かけるときも生茶を持って行っている。昔は水にしていたんだけど、いつの間にかお茶系統になってしまっている。
水の中で一番好きなのは、断然「ボルヴィック」。
これは今まで飲んできた水の中で一番美味しい。でも、高いんだよね。なかなか100円以下にならないから、そんなに頻繁には買えない。誰かに奢って貰うときとかはこれをチョイスしている。飲みたいけれどなかなか飲めない飲み物の一つだ。
何に関してもそうなんだけど、僕は選ぶときには自分の気に入っているものしか選ばない。偏愛主義と言うか、盲目的と言うか、初志貫徹というか、何というか…。だから、僕が選ぶ飲み物と言うのは凄く限られてくるんだ。
上二つの他に、僕がよく飲んでいると言えば、リプトンから出ている「リモーネ」と言うレモンティーをよく飲んでいる。
始めて僕がリモーネと出会ったのは、かれこれ3,4年前だ。
とあるレンタルショップに知り合いと行っていたのだけど、そのときに自販機で買ったのがファーストコンタクト。今でもよく覚えている。その季節は11月の寒い季節で、景色も、そのときの感情も、どうしてそのレンタルショップに行ったのかも、何もかもを事細かに覚えている。
そのときにリモーネを飲んで、凄く暖かくて美味しかった。
それから僕は自販機では大体リモーネばかり飲んでいた。
確か3,4年前と言うと、僕と、一番仲が良かったI田さんとでよく夜に二人で色々と語っていたんだ。そのときに選んだ飲み物がリモーネだった。
僕の家のすぐ近くに----歩いて30秒くらいのところに----自販機があって、そこでよく100円でリモーネを買って飲んでいた。今では、その自販機は遠くに移ってしまって(今度は歩いて5分くらいのところに移った)、値段も上がっているんだけど、たまに飲みに行っている。
リモーネに関する思い出はI田さんとのお喋りだけじゃない。
もう一つだけよく覚えているのが、2005年の夏のことだ。
丁度今から1年前のこの暑い季節(※注:この文章を書いたのは2006年です)に、僕は2年ぶりに映画館で映画を見た。それが、僕の人生に多大な影響を与えた、「スターウォーズエピソードⅢ」。
そのときの光景、そのときの暑さ、そのときの感情、何もかもを僕は覚えている。
映画が始まるまで1時間半あったから、僕はリモーネを近くのスーパーで買って、サンデーを読みながら時間を潰したんだ。つまりそのときは水曜日だった、ということになる。
そして、スターウォーズエピソードⅢが始まって僕はリモーネを飲みながらあれを見た。スクリーンで見るオビ=ワンとアナキンの戦いは僕の頭の中にくっきりと焼き付いた。そのときの情景の何もかもを僕は覚えているんだ。
僕には飲み物でこんなにも思い出深いものは他に無い。大体がただの飲み物であり、それは単なる水分補給の用途でしかない。それでもリモーネだけは別格で、リモーネに関する思い出だけは今でも僕の心の中にある。
僕の中でのリモーネの思い出は色々な季節があるんだけど、リモーネは暖かいのと冷たいのとでは味が違う。僕はどちらも好きだ。
暖かくても冷たくても、僕の中ではリモーネだけは、単なる水分補給のための飲み物では無く、もっと高次元で崇高なものなんだ。それを上手く表現する言葉を僕は知らないけれど、僕にとってリモーネとはそういう存在である。
僕はどうしてリモーネが好きなのだろう、なんて考えたことはない。だって、飲み物の好き嫌いなんて、理論的に表現できるものじゃない。
この成分が何%入っている上に、こののどごし、この甘み、そしてこの匂いが重なり合っている最高のフレーバーだから私は好きなのだ、なんてことは普通言わない。飲み物の好き嫌いは、もっと抽象的で、ただそこにあるから好きなのだ。
コカコーラのCMで一時期あったけれど、飲み物の好き嫌いって『No Reason』だ。僕はそのコカコーラのいわんとしていることがよく分かる。理由なんていらないのである。理由の如何に問わず、その飲み物が存在して、自分の中の嗜好の一部と結びついた結果、好きになるのだ。
ヒマワリが好きだ、とか、青色が好きだ、とかそういうことと同じことである。そこには理由なんてものは存在しない。そして、それに関して罪悪感を抱く必要なんてまるでないのだ。
ヒマワリが好きでも、アジサイは嫌い。それでもいいのである。一体どこのどいつが「ヒマワリが嫌いなんていけないんだぁ」なんて言う輩がいるのであろうか。
本来人の好みというのはこういう自由な発想で見るべきなのである。
だから、僕がリモーネを好きだ、と言ったからと言って、「午後の紅茶の方が美味いんだ。リモーネなんてクズだ」とか、「リモーネなんて飲んでるの? イモだなぁ、今はジャワティーが一番美味いんだから」なんて言わないで欲しい。
そういうことを言いたい人達が、それぞれその飲み物を好きなように、僕はリモーネという紅茶が大好きなのである。そういうものは自由でいいはずなんだ。それが個人の自由というヤツなのだ。
そうこう書いているうちにリモーネが飲みたくなってきてしまったではないか。まぁ、それはこんな論点で書こうと思い立った僕が全面的に悪い。それは重々承知だ。
この文章を書き終えたら、リモーネを買いに行こう、と思っているんだけど、この文章のオチがさっきから全然浮かばないから、強制終了してリモーネを買いに行こうと思います。
ちゃんとオチろ? ちゃんと最後まで終わらせろ?
今の僕にとって、最後のオチよりも重要なものはリモーネを飲むことなのだ。
それが僕とリモーネの絆というヤツで、これは切っても切り離せない。何年も前から絆を結んでいるんだ。僕とリモーネは結びついている。
だから飲みたいのだ。
でも、こういう文章を書いていて、後半の文章からリモーネを飲みたくなるなぁ、とは思うけれど、前半の文章からトイレに行きたくなるなぁ、と思うことはない。まぁ、当たり前のような話だけど、何だか不思議な感じがするものである。その差違はどこから来るのだ、なんてね。
と書いていたら、トイレに行きたくなってきた。どっちかはっきりしろ、って話で申し訳ないけれど。
これが文章の力か、と思ったけれど時計を見ると、90分くらい経っていることが発覚して、何だいつものトイレサイクルが巡ってきたのか、と思うわけである。
それじゃ、キリがいいのでトイレに行ってからリモーネを買ってきます。
それでは、また。
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