ここのところ立て続けに映画を見たので、その映画のレビューをしたいと思います。
先日――とはいってももうかなり前――『バーンアフターリーディング』を観た。
映画の情報誌やCMを見てみると楽しそうに思えた。ブラピがiPodを聞きながらノっていたり、殴られて涙目になるヘタレっぷりがCMに出てたよね。あの映画です。
率直な観た感想。
前評判で物凄く良いことが書かれていて希望を持って観たけれど、「ガッカリ」とまでは言わないまでも「何だかなぁ」と思わざるを得なかった。
この作品の肝は、「複雑に絡み合う人間関係のリンク」だと僕は思いながら観ていた。
一人一人のストーリーが個別にあり、そしてそのストーリーが進むにつれて他の人とのストーリーと絡み合う、というのがこの映画の趣旨。
実際、「上手く絡んでいるな」という感じを受ける。
でも、「この人はどういうストーリーの流れで他の人のそれと絡み合っているのだろう」と上手く整理しないと分からない部分がある。
まぁこれはただ単に僕の理解度の低さと頭の悪さから来る問題かもしれないけどさ。
つまり、よくよく考えれば上手く絡み合っているけれど、話の展開が少し早いと感じてしまう部分がある、ということだな。
まぁ、2時間以内という制約がありつつ人間のドラマを描くのだから致し方ないと言えば致し方ないことではある。
でもラストの終わり方はあれで良かったのだろうか?
もちろんネタバレはしないから言わないんだけど、あれで良いのだろうか。
そういうのは僕の価値観と第三者のそれとの違いから生まれる類の話だろう。
とはいえ、「僕と他の人との感じ方の違い」という個人的な問題の違いか、はたまた「僕(日本人)と他の国の人との感じ方の違い」という文化的な問題の違いなのかはわからないけれど、何かしらのズレはあると感じている。
もちろんそのズレのようなものはラストの締めくくり方だけではなく、作品全体において言えることだ。
例えばこの映画のジャンルはコメディ映画なんだけど、申し訳ないとは思っているが、敢えて言わせてもらうと僕はこの映画がコメディ映画だとはあまり思わなかった。もっと端的に言えば「思えなかった」と言ってしまえるかもしれない。
もうその時点でズレが生じている。
映画然り、音楽然り、絵画然り……個人の感性や嗜好、価値観や価値基準などにより捉え方が千差万別な芸術という類のものにはこういうズレは付きものであるわけだ。
だから、「僕が抱いた思い」というのはある側面では正しく、ある側面では正しくはないわけで、同様に「第三者が抱いた思い」というのもある側面では正しく、ある側面では正しくはないことになる。
えーと、小難しいことを書いて何が言いたいかって言うとですね、まず一つは「ここに書いたのは僕が個人的に思ったことだから正しいか正しくないかは分からないよ」ということと「大方の場合、僕の抱くことは一般的な意見でないことが多いよ」ということを言いたいのです。
それをあぁだこうだと小難しく書きました。
このような行為と言うのは「1+1=2」という数式を「5+4-1+2-3-7+2=2」と考えるような行為ですよね。
申し訳ありません、シャイなのです。
こういうのはシャイとは違うか。
シャイかどうかはさて置いて、僕は彼女さんから「ツンデレだ」と言われるのですが、よくよく考えると「僕はツンデレかもしれない……」と思うようになりました。
そしてその延長上で考えるのですが、
「あなたツンデレですよね」と言われて
「いや、私はツンデレじゃないですよ~」と答える人が結構いるんじゃないかと勝手に思っているのですが、逆に
「あなたツンデレですよね」と言われて
「うん、僕はツンデレなんですよ~」と答えるというのはよくあることなのでしょうか?
また、そういう「自覚症状を持つツンデレ」というのは何かおかしなことがあるのでしょうか?
と書いていて気付いたのですが、重なってますね、「天然」と「ツンデレ」が。
過去:「僕はツンデレじゃありません」
↓
現在:「僕はツンデレかもしれないな」
↓
未来:Unknown...
こういう変化を成長と呼べるのかどうかは怪しいものです。
04 | 2024/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |