幸せ、と言うものが何なのか、またどんなものなのか、と言うのは人間に於ける平等の悩みのようなものだ。
しかし、幸せを形に表すことは出来ないけれど、人には、「これがあれば幸せ」と言う形を為すものが幸せへと連想させることが出来る。
例えば、たこ焼きなんて幸せの坩堝ですね。
あの匂い。あの歯ごたえ。あの丸み。あの香ばしさ。あの美味しさ。
たこ焼きに於ける五感に訴える全てのものは幸せに直結している。
僕の家の近くに、中規模のショッピングセンターがあって、そこにはたこ焼き屋がある。僕はそこのたこ焼き屋に2,3ヶ月に1回くらいの割合で行って、たこ焼きを食べている。
最近気が付いたことは、たこ焼きとマヨネーズの相性が抜群に良いことだ。今まで僕は、マヨネーズを毛嫌いしていたのだけど、そのことに気が付いて以来、マヨネーズが好きになってきた。
幸せの象徴であるたこ焼きを愛しているがために、好き嫌いが一つ減った。なんて幸せなことだろう。
そのショッピングセンターにはたこ焼きの用事以外でも結構な頻度で行くんだけど、たこ焼きの匂いが漂ってくると、僕はいても立ってもいられなくなる。
僕の鼻にあるたこ焼き感知センサーがピピピッと働き、「12時ノ方向ニタコ焼キ屋アリ」なんて指令が出されて、一目見ようと……もとい、一鼻嗅ごうとそのたこ焼き屋に行く。僕は、あまりお金を持っていないし、物凄い小食なので、たこ焼きを買う、までは行かないのだけど、一鼻嗅ごうとどうしてもたこ焼き屋に行ってしまう。
そして、たこ焼きが焼かれているのを見て、「うむ、今日もたこ焼きだ」などと意味不明なことを思って、泣く泣く帰ってくるのである。本当は食べたいのだけど……。
そのショッピングセンターではたこ焼きを売っているので、色々な人がたこ焼きを買っている。
ある日、僕のたこ焼き感知センサーがピピピッと働き「2時ノ方向ニタコ焼キ反応アリ」と言う指令を出して、向かってみると、若い女の人がたこ焼き屋のビニールを手に持っていた。
僕はたこ焼き好きである前に、人間なので、若い女の人に近づいて「ヤダわ、この人、ストーカーかしら」なんて思われると困る。
そうじゃないのだ。僕はただ、あなたの持っているたこ焼きの匂いがあまりに美味しそうなので惹かれてやってきただけなのだ、と言いたい気持ちに駆られた。女の子に惹かれてその女の子に着いていくなんてことはしないけれど、たこ焼きならば話は別だ。だから、そういう誤解をされると僕としては本当に困る。
まぁ、そう思われていたのかどうかを確かめる術はなかったのだけど、これ以上周りでウロチョロしていたら確実に怪しまれると思ったので、たこ焼き追跡を辞めた。
よく、「たこ焼きにタコが入ってねぇじゃねぇか」なんて怒っている人がいるけれど、僕としては「たこ焼きにタコが入っていようがいまいが美味しい」と思っている。そりゃ確かに、たこ焼きにタコが入ってなかったら、それはある種のウソであり、許されざることではある。
しかしだね、たこ焼きの魅力とは中にタコが入っていることに非ず、五感に訴えかける、その全てのファクターに魅力があるのだ。
たこ焼きにタコが入ってないから怒る、ということは、それはつまりたこ焼きの中にタコさえ入っていればいい、と言うことだろう? そうじゃなかったら、「たこ焼きの中の長芋がなってない」とか言う怒り方があって然るべきなのに無いだろう? やはり、普通の人からしてみれば、たこ焼きの重大なファクターと言うのは"タコが入っているかいないか"であるように僕は感じている。
たこ焼きをいざ実際に買って、帰りしな、たこ焼きの匂いが鼻をかすめた時のあの幸福感…。そういう幸福を僕は、とある作家の言葉からこう言い表している。小確幸(小さいけれど確かな幸せ)である、と。
そういう小確幸をどれだけ幸福なものかと取れるか、そして小確幸をどれだけ確かな形として取れるのか。それが大きな幸せへとなっていくんじゃないのかな、なんて思う。
僕にとってのたこ焼きがそうであるように、あなたにもきっと……あるでしょう?
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